先日SNSでこんな投稿を見ました。「AIでアプリが作れたからもうエンジニアいらないな」みたいなやつ。非エンジニアの人がAIを使って自分でツールを組んでそれが動いたということ自体は素直にすごいことだと思います。でも、そのあとに続く「エンジニアいらない」のひと言だけはどうにも引っかかったんですよね。

先に言っておくと非エンジニアがAIでいろんなものを手軽に作るのは最高にいいことだと思っています。今までお金や技術の壁で諦めていたものが自分の手で形になる。これはもう純粋に世界が良くなっている話です。なのでぼくは作ること自体を否定したいわけじゃまったくありません。

引っかかるのは「動くものが作れた」を根拠に「エンジニアをいらない」と言い切ってしまうところです。あれ正直めちゃくちゃダサいと思うんですよね。

なぜダサいかというと動くだけのアプリケーションと仕事で使う商用アプリケーションのあいだには見えていない論点とクオリティの差が横たわっているからです。動いた時点で見えているのは氷山の一角で、プロが金をもらって作っているのはその下に沈んでいる部分のほうです。

たとえば自分1人が触るぶんには動くやつも、同時に1万人がアクセスしたら耐えられるのか、変な入力を投げられたときに落ちないか、個人情報を扱うならそれをどう守るのか、誰かがデータを盗もうとしてきたときに防げるのか、半年後に仕様変更が来たとき直せる作りになっているのか、障害が起きた夜中にちゃんと復旧できるのか…etc。この辺は全部「動く」の外側にある話で、しかも商用だと1つも落とせません。

要するに動かすのは入り口で、仕事で作るというのは落ちない・壊れない・守れる・直せるをぜんぶ同時に成立させることです。デモで動くものと、他人の金や生活を預かって動き続けるものは求められるクオリティの桁が違います。

こう書くと「でもその見えてない部分もいずれAIが全部埋めるでしょ」と言われそうです。わかります。というか正直それはかなりあると思っています。負荷対策もセキュリティも保守も、いつかAIがまとめて面倒を見る未来は普通に来ると思います。だからここで「AIには無理」みたいな話をするつもりはありません。

引っかかっているのはそこじゃなくて、そもそも見えてない部分が存在するという事実に気づけていないというところです。1万人がアクセスしたら落ちるかもしれない、変な入力で壊れるかもしれない、その論点がまず頭に浮かぶ人だけが「じゃあそこAIに埋めさせよう」と指示を出せます。**埋める手段がAIになっても「何を埋める必要があるか」を判断する部分は残ります。**むしろそこがプロの中身なんですよね。

「動いたからエンジニアいらない」と言い切れてしまうのは、その埋めるべき穴が見えていないからこそなんです。見えていないから穴がないように思えてしまいます。逆にいえば技術がAIに肩代わりされるほど、穴の在りかを知っている人の価値はむしろ上がるんじゃないかと僕は思っています。

AIで動くものを作れた人は堂々とそれを喜んでいいと思います。ほんとにすごいので。ただそれと「プロがいらない」はつなげないほうがいい。むしろ自分で少し作ってみたからこそ、その先の見えない部分の深さに気づける立場になったはずなんです。作れるようになった人ほどプロの凄みがわかるようになる。そっちのほうがずっとかっこいいと思いますね。