最近つくづく思うのですが、なにか問題が起きたときに「人」に焦点を当てて話しても、ほとんど何も解決しないんですよね。

たとえば仕事でトラブルが起きたとします。データが壊れた、リリースが遅れた、顧客が怒っている。そういうとき最初に始まるのが「誰がやったんだ」という犯人探しです。で、犯人っぽい人が見つかるとみんなでその人の落ち度を指摘して本人が謝ってなんとなく場が収まる。

これ、解決した気になっているだけで何も解決していないんですよね。

正確に言うと一部の人が一瞬気持ちよくなる効果はあります。責める側は「自分はちゃんとやっている側」だと確認できて安心しますし正義を執行した満足感も得られる。でもそれだけで問題そのものは何ひとつ変わっていません。

なぜかというとその人を責めて反省させたところで同じ構造の中に別の人を置けばだいたい同じことが起きるからです。人間の注意力とか善意とかって思っているよりずっと当てにならないし「気をつけます」「次から確認を徹底します」みたいな再発防止策が何の役にも立たないことはみんな本当は知っているはずです。

だから議論すべきは制度とか仕組みのほうなんですよね。

なぜそのミスが起きうる状態だったのか?チェックが人間の目視に依存していたんじゃないか?そもそも一人でやるには多すぎる作業量だったんじゃないか?間違えたらすぐ気づける仕組みがなかったんじゃないか?

そういうシステムを直せば誰がその席に座っても同じ失敗は起きにくくなります。人を入れ替えるより仕組みを入れ替えるほうがずっと再現性があるはずなんですよね。

これは仕事に限った話ではなくて世の中のニュースでも同じです。不祥事のたびに特定の個人を吊るし上げて辞任なり謝罪なりで一件落着という流れをよく見かけます。あれも叩いている側がスッキリするだけで次の不祥事を防ぐ力はほぼゼロ。本当に必要なのは「なぜそれが可能だったのか」「どういうインセンティブ構造がそれを生んだのか」の検証なのですが地味で時間がかかるのであまり人気がありません。

人を責めるのは簡単で即効性のある娯楽みたいなものです。仕組みを直すのは面倒で地味で誰の溜飲も下がらない。でも有益なのは圧倒的に後者だと思うんです。

問題が起きたとき「誰が悪い」の話を始めそうになったら一度立ち止まって「どの仕組みが悪い」に言い換えてみる。それだけで議論の生産性はだいぶ変わるんじゃないでしょうか。